私の記念すべき?ブログ200記事目はやはりフィリピン情報。
昨年の事なのにうまくまとめることが出来ず。節目は大事なことを書こうと思ってましたがようやくこの節目まで来ました・・・。
節目に書いておきたかったのは・・・
バターン半島の『デスマーチ』といえば、フィリピン・ターラックにある『カパス・ナショナル・シュライン』です。(※capasなのでキャパスとも読みます。)
その時代・その場所に生きていなかったので、もちろん詳細や歴史をまとめることは難しいのですが、後に行かれる方の参考になればと思ってまとめます。
普段は飯テロ・ウェ~~イ(・ω・)/なブログを行進しておりますが、時々は・・・
では行ってみましょう。
Contents
- 【実録】フィリピン・ルソン島ターラック『バターン死の行進(カパス・ナショナル・シュライン)』に行ってきました。
- フィリピン『バターン死の行進/デスマーチ』で知られる『カパス・ナショナル・シュライン』とは
- 【実録】フィリピン・ターラック『カパス・ナショナル・シュライン』へ行ってきました。
- フィリピンの『バターン死の行進/デスマーチ』関連について知る参考文献
- フィリピン・ルソン島 その他の慰霊碑・史跡エリアまとめ
- フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺のその他の慰霊碑・史跡エリア『Kamikaze West Airfield』
- フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺のその他の慰霊碑・史跡エリア『Kamikaze East Airfield』
- フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺のその他の慰霊碑・史跡エリア『クラーク博物館/4D劇場』
- フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺のその他の慰霊碑・史跡エリア『平和観音像/リリー・ヒル/Goddess of Peace Shrine』
- フィリピン・ルソン島 パンガシナン州 近辺慰霊碑・史跡エリア『トンダリガン・パークの第二次世界大戦戦没者慰霊碑』
- フィリピン・ルソン島 慰霊碑・史跡 バギオ『フィリピーノ・ジャパニーズ フレンドシップメモリアルシュライン』
- フィリピン・ルソン島 慰霊碑・史跡 バギオ『植物園内/防空壕/日本園内』お地蔵様
- フィリピン・ルソン島 慰霊碑・史跡 サン・ファビアン『Japan memorial kagoshima No.71』
- フィリピン・ルソン島 慰霊碑・史跡・博物館 『バンバン歴史博物館』Bamban地域
- フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺 慰霊碑・史跡『海軍中将大西瀧治郎平和記念碑』バンバン~クラーク地域
- フィリピン・ルソン島慰霊碑・史跡 ロスバニョス『本間雅晴中将 終焉の地』
- フィリピン・ルソン島慰霊碑・史跡 ロスバニョス『山下奉文将軍 終焉の地』
- まとめ
【実録】フィリピン・ルソン島ターラック『バターン死の行進(カパス・ナショナル・シュライン)』に行ってきました。
きっかけはGWの超短期フィリピン英語留学でターラック『APSE』へホームステイしたこと。
本来ならば現地採用でフィリピンに行ってしまいたかったのですが、我が家の選択肢には難しい。
なので周りがもめない選択肢として、久しぶりのフィリピンはものすごく短い1週間ですが、ターラックでのホームステイを選択したのが2019年のGW。
フィリピン留学で長期だと大型学校でもいいかなと思いますが、短期の場合は利便性を重視してより濃密に・・・!っと考えると私にはちょうどいい選択だったと今でも思っています。
そして、常日頃からフィリピンルバング島で約30年も潜伏されていたラストサムライ・小野田寛郎さんの本を読み、大戦の日本兵の話、またそれを弔うためにアジアに行くお坊さんの話等々を読んでいる私としては大好きなフィリピン・ルソン島北部に行けるとなれば片っ端から慰霊碑やメモリアルパークだけは事前にきちんと調べ、可能な限り伺うようにしております。
今回はターラックなので、これはカパス・ナショナル・シュラインに行かねばならない!と一番最初、最優先事項に決めたのもここでした。
フィリピン『バターン死の行進/デスマーチ』で知られる『カパス・ナショナル・シュライン』とは
バターン死の行進(バターンしのこうしん、タガログ語: Martsa ng Kamatayan sa Bataan、英語: Bataan Death March)とは、第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・アメリカ領フィリピン軍の捕虜が、捕虜収容所に移動する際に多数死亡した行進のことを言う。全長は120kmで、もともとはその半分弱は鉄道とトラックで運ばれる予定であったが、計画を立てた当初の捕虜の予想数と、実際の捕虜の数に多く違いがあり、結局100kmを超える距離を難民と捕虜は歩かせられた。<Wikiより抜粋>
1941年(昭和16年)12月23日、台湾から主力部隊は出発し、マニラ市を無血占領。大本営への応援要請の打電は2月10日頃、日本軍はその後コレヒドール要塞を占領し連合国軍総司令官総司令部のダグラス・マッカーサーはフィリピンを脱出されたと記載があります。
有名な『I shall return.』はフィリピンに向けてであり、トレードマークはパイプと帽子ですが、この帽子も当時の米軍では規則違反とされていた『フィリピン帽』だそうです。
戦争当時、日本軍が米兵とフィリピン兵に行ったと言われる「死の進行」(マニラ近くのマリベレスからターラック州カパス・バターンペニンシュラまでの長距離を炎天下の中、徒歩で移動させた悲劇で、死の進行/デスマーチと呼ばれています。)
正確な場所はあとでMAPを出しますが、カパスのオドネル基地近くにあります。
この広大な敷地は以前のコラソン・アキノ大統領によって建設されており、アメリカ・フィリピン・日本を表した三本の柱からなる記念碑・モニュメントがあり、そのまわりを犠牲者の指名が刻まれた円型の石碑があります。
この公園というか敷地一帯が『カパス・ナショナル・シュライン』とされています。
【実録】フィリピン・ターラック『カパス・ナショナル・シュライン』へ行ってきました。
大きなメインゲートに車で行くと、日本の高速道路の料金所のようなところが出てきます。
そこには少し厳しめのガードマンがいるので、入るときにはホームステイ先のオーナーご夫婦になんと寝たふりをするように・・・と言われました。
昔、初めてのハワイ旅行で、有名になる前の某菓子屋に行った時に、『日本人とは話したくない』と言われたことがありました。
代わりにお孫さんが出てきてお菓子を売ってくれましたが、日本人には来て欲しくない、という現地の方々もどこの世界でも居ると思います。
こちらでも案内して下さった学校『APSE』のオーナー夫妻、ご先祖様もこちらに眠る方、日本との戦争にも関わっているとのことでした。
日本だけでなく歴史を感じようとしてくれる人々を案内することに理解を示してくれているということ、熱さとともに日本の過去をジワジワと地肌や毛穴に響いてくるように感じるこの現地で申し訳なくも、なんとも言い表すことが出来ない&英語力が無い私に、オーナーのアテ・ジョーは言って下さいました。
『sorryとは言わないで下さい。悪いのは戦争です。私と貴方はいまはこうして同じ気持ちで、友達です。』
これは入口から駐車場へむかう車内からの写真です。
警備されて囲われている物の、入口付近は少し物騒にも感じます。駐車場まで車で数分かかりますし、サリサリも自販機ももちろんありません。
アスファルトのような整備された土地から照り返す熱気で肌が焼けそうです。
アテはいつも以上に暑いと言っていましたが、確かに暑さ以上に肌に迫る感じがします。
本当にこのようなエリアを・・・
マニラ方面から、このバターンペニンシュラまで、捕虜兵は飲まず食わずに素足に近い状態で飲まず食わずのような状態で歩いてきたのか・・・と思うと・・・。
駐車場から歩いてモニュメントに向かう途中。
ギュウ詰めに兵士達を押し込めて運んできたという『カーゴ車(日本で言うカーゴで、こちらではBOXCAR)』が悲劇のまま残されていました。
左側の文書を読んだだけで涙が出てきました。
そしてこのBOXCARに近づいてみると独特な空気感があります。
まるでひとびとの不安がまだ此処にそのままの残っているような、中に入ったらにおいまでしてくるような独特な熱波でした・・・。
そして今回のメイン・・・3本柱(比日米)の慰霊碑モニュメント。
実は私が訪れた頃は、2019年4月末にフィリピン・パンパンガ地方での大地震があった影響で慰霊碑の近くには居ることは禁止されておりました。
近づくことが出来なくて残念でしたが、
この塔を囲む周りの石碑には多くの犠牲者の名前が刻まれておりました。
大きな円上にある石碑。その刻まれた名前の近くで祈られるアメリカ人のご家族もいました。
人生の中でネットやフィリピン留学がなければ、またこの時代でなければ、ここへはこれなかったとおもいます。
慰霊碑から少し歩いてくると記念館というか資料館のようなところがあります。(資料館の入口の門から撮影しています。右に見えるのが先述のカーゴ車。)
The monument ,which was erected to celebrate peace,is a symbol of gratitude from the lessons of war, making all people united,strong, and able to succeed and endure all obstacles in the future.
平和を祝うために建立されたこの記念碑は、戦争の教訓からの感謝のシンボルであり、すべての人々が団結し、強くなり、将来すべての障害を乗り越えて耐えることができます。
最初に目に入ったのはこちらでした。戦争からの教訓、感謝のシンボル。
そして私は以前から見てみたいと思っていたダニエルさんという方で、直筆で幼い頃の日本兵の話を書き残している方で、自宅に記念館まで作られたという方の絵を思いがけずここで見ることが出来ました。
ダニエル・ディゾンさんという方の絵はとっても詳細に悲劇を記していますが、この方は神風特攻隊によくしてもらったこと、確かに戦争ではつらい思いをフィリピンはしてきたが、彼らも同じ気持ちであったと、日本で本を出版されています。
数年前のTVの特集で知ったダニエルさんの本を速攻購入し、いつかはダニエルさんの自宅を改装して自費で作られたという記念館に行きたいと思っていましたが、数年前に出版社のお知らせでたまたまダニエルさんの訃報を目にしました。
現地では地図など調べてもなく、オーナー夫妻も調べても不明。
死ぬまでにダニエルさんの直筆を見ることは難しいと諦めておりましたが、思いがけず直筆の絵を拝見できてとても嬉しく思いました。
私の祖母は売れない水墨画や日本画を楽しんでいる自称画家だったので、私も絵を見ることは大好きです。
このような素晴らしい絵にあえたこと、また歴史を書き記して下さったことに改めて感謝しました。
資料館には他にも貴重な資料や当時の日本兵の資料、悲劇の資料、戦後のフィリピンのこの平和にむけた歴史も残されております。
せっかくこの時代に生まれて、フィリピンのみなさんと仲良くなれる時、チャンスがあるのならば歴史的なところへのお出かけを個人的におすすめします。
フィリピン・ターラック『カパス・ナショナル・シュライン』へのアクセス
オドネルロードを歩いてこられたとオーナー夫妻は言っていますが、本当にこの道だけでも長い・・・
ちかくにはNCCASやナショナルリバーパークがありますが、ご注意下さい。注意は次にまとめます。
カパス・ナショナル・シュラインへ行く際の注意点
が、そこから先は公共の交通機関というのは期待できないので、出来れば身の安全のためにもトライシクルやジプニーではないものをおすすめします。
よっぽど現地になれていても、危険な繁華街とは違った危険性があります。
・日本人が歓迎されない場所もあるということを知っておくこと(特に墓地や慰霊碑)
・公共交通機関で行くにはかなり不便
・コンビニはもちろんサリサリも近所にないので飲み物の用意は必須
フィリピンの『バターン死の行進/デスマーチ』関連について知る参考文献
バターンのデスマーチに関する本をいくつか読みましたが、とにかく細かく書いてあるのはこちらの本でした。本間中将やマッカーサーまでも網羅しているような細かさ、繊細な記述です。
私の祖母はかなり意志の強い女性で、私が幼稚園の時にも、男は跡取りであれば剣舞を習うべき!みたいないわゆる戦時中教育の強い女性でした。
横浜の赤い靴・・・のイベントでは当時そのイベントに出席していたとかなんとか・・・野毛にも遠縁の親戚が居るそうなのでいつかは聞きたいですが、乃木将軍天晴というのが彼女の思想なので、祖母が好きそうなのはこの本だなと感じました。
フィリピンで一番有名な日本人は今はフミヤくんでしょうが、全体的に言うとミスターヤマシタかミスターホンマというのが常という感じがします。
また、先ほどもご紹介しましたが、スラスラと読めてしまうのがこちら。
日本兵によくしてもらったことをきっかけに絵を描き、当時のことを詳細に残しているダニエルさんの本。
ご自宅を自費で改装されて記念館にしており、Youtubeでも日本の歌を歌うダニエルさんの動画があります。
フィリピン・ルソン島 その他の慰霊碑・史跡エリアまとめ
フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺のその他の慰霊碑・史跡エリア『Kamikaze West Airfield』
フィリピン北部・アンヘレスは、神風特攻隊がはじめて飛び立ったエリアとも言われています。
台湾も花蓮が神風のエリアとも言われていることもあり、私が行くたび先はどうも神風特攻隊のエリアに縁があるように思います。
こちらはアンヘレスにある慰霊碑でWestとEastがあります。
ここは大戦当時に実際に特攻隊のお兄さん達に頭をなでてもらったり優しく接してもらったという人達によって作られたとも言われています。
数年前までは無許可で入ることが可能でしたが、現在では事前許可が必要とも・・・。
フィリピンなので臨機応変に・・・。
フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺のその他の慰霊碑・史跡エリア『Kamikaze East Airfield』
私は今回、多くのフィリピン人たちにとっては無名なエリアを効率よくまわりたかったので学校のオーナー夫妻に頼みましたが、結構マイナーだそうで。
タクシーでは行けない(わからないだろうから)、とのことでした。
ちなみにここは行ったのですが、道の直ぐ横にこじんまりと有る感じで、車も路駐は難しそうです。
何故か綺麗に掃除されており驚きました。
どなたかが綺麗にしてくださっているのだろうか・・・
フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺のその他の慰霊碑・史跡エリア『クラーク博物館/4D劇場』
🇵🇭フィリピン関連の写真をまとめていますがここはなかなか良い。自費で神風を描き続けたダニエル氏直筆絵画も沢山あり歴史を知れる&昼寝時間に行くと床でスタッフが寝ている…
クラーク博物館 / 4D 劇場
Clark Freeport, Mabalacat, Pampanga, フィリピン
+63 45 599 2832https://t.co/agNuu5zUbF pic.twitter.com/KCWfGQHqZ0— おるたな🇵🇭🇭🇰フィリピンと香港と飯テロの雑食ブロガー (@aratakid7) March 9, 2020
火山の噴火、地形変化、伝統行事について、戦争について・・・とにかくアンヘレス関係のすべてを凝縮したような施設に、4D映画が見れるといったところです。
ここも特別行政区なのでトライクなどでは入れませんのでご注意・・・。
フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺のその他の慰霊碑・史跡エリア『平和観音像/リリー・ヒル/Goddess of Peace Shrine』
特別区のなかにある観音様・・・。花蓮・太魯閣の祥徳寺で見たときと同じ印象・・・。
いきなりフィリピンの土地にあるので結構驚きます。
今回は行けなかったのですが、いつか行きたい。
場所はこれも現地ドライバーには知られない場所ですが、『Goddess of Peace Shrine』か、『リリー・ヒル』といったのが目印です。
フィリピン・ルソン島 パンガシナン州 近辺慰霊碑・史跡エリア『トンダリガン・パークの第二次世界大戦戦没者慰霊碑』
結構デカイ慰霊碑に漢字で書いてあるのですぐにわかると思います。
こちらは特別区などではないのでジプニーでいけますが、日本人は少ないかと。
ご注意を・・・。
フィリピン・ルソン島 慰霊碑・史跡 バギオ『フィリピーノ・ジャパニーズ フレンドシップメモリアルシュライン』
バギオについては私の大好きなフォロワーさん達がブログにまとめておられるのでそちらを皆様参考に・・・私は『バギオは軽井沢だから寒い!』という認識なのでまだいっておりませぬ・・・。
フィリピン・ルソン島 慰霊碑・史跡 バギオ『植物園内/防空壕/日本園内』お地蔵様
こちらもバギオの皆様に是非&レポをお待ちしております。気になっててバギオの寒さにまけてうかがえていない場所。
バギオの慰霊碑や設備は結構素晴らしいものが多いのは何故だろう・・・。
フィリピン・ルソン島 慰霊碑・史跡 サン・ファビアン『Japan memorial kagoshima No.71』
こちらも前述している慰霊碑をみるためにターラックから南下して行こうと思いましたが時間の都合で行けず。
ただ謎なのはトゥーバ(テューバ)のキャンプ3地区にこの鹿児島71連隊の慰霊碑があるという情報とこのリエンガン湾沿いにあるよという2つの情報がグーグルマップにあるのでいつも謎です・・・。
TUBAなら、もっとロザリオの上の位置・・・というかバギオ地区みたいです。
ご存じの方いたらいいな・・・。
フィリピン・ルソン島 慰霊碑・史跡・博物館 『バンバン歴史博物館』Bamban地域
近くを通ったのですが、あいにくのお休みだったので行けなかった場所・・・。
ものすごく沢山の資料があることにGoogle Mapでみていて驚きます。資料の数々、保存状態の良さ・・・。写真が多すぎるので行けたら大泣きするかもしれません・・・。
フィリピン・ルソン島アンヘレス近辺 慰霊碑・史跡『海軍中将大西瀧治郎平和記念碑』バンバン~クラーク地域
こちらもバンバンの歴史館から近いので次に行けたら良いなと思っているところ。
アンヘレス在住時に狙っておりましたがいけず・・・位置的に難しいエリア。トライシクルはあるようです。
フィリピン・ルソン島慰霊碑・史跡 ロスバニョス『本間雅晴中将 終焉の地』
ロスバニョスから行った方がわかりやすいであろう、本間中将の終焉の地。
マカティ・パラニャケまでしか南下していないので私は難しいが、モンテルンパ、ビニャンを通って湖に沿った大通りをバスでマニラ方面から南下したらいいのだろうか。
ここも是非人生のうちに行かせて欲しい・・・。
フィリピン・ルソン島慰霊碑・史跡 ロスバニョス『山下奉文将軍 終焉の地』
こちらも今までに行けなかった場所。
フィリピンで老若男女、一番有名であろう山下将軍の終焉の地。
いろいろなサイトをぐぐってみると日本人で今もこちらに行かれる人は少ないように見受けられます。
調べてみるとヤマシタストリートという道の名前があるように、現地トライシクルなどでも簡単にいくことが出来そうな、比較的わかりやすい史跡に感じました。(マッカーサーストリートのほうが地名としては多いが。)
いつか行ってみたい・・・。
まとめ
あっという間にフィリピンと香港、アジア時々旅、そしてほぼ飯のことをまとめている自分のブログが200記事にきてしまった。
今回は私が普段見せない一面というか、うっすら見えていたであろう史跡関係・慰霊碑関係の個人的に気になるエリアと、ターラックに行かれたら是非行って欲しい『カパス・ナショナル・シュライン』をまとめてみました。
一番最初にフィリピンから帰国した年には千鳥ヶ淵の戦没者慰霊祭にも実は行ってきました。
増設されてまだなお、全てではないそうです。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、日本国政府が設置した戦没者慰霊施設である。 日中戦争および太平洋戦争の折に国外で死亡した日本の軍人、軍属、民間人の遺骨のうち、身元不明や引き取り手のない遺骨を安置する施設である。
アジアで一番日本人の犠牲者が多かった場所、フィリピン。
そして今は語学留学で大人気、リゾートでも大人気のフィリピン・・・。
もし向こうに行かれたら、ちょっとでも見かけたら、なにかのご縁としていかれてみられてはいかがでしょうか。
追記:私の人生の中で、ここ『カパス・ナショナル・シュライン』にこれたことの大きさ、オーナーご夫婦への感謝はうまく言葉がでません。
歴史知識は全然ありませんが、どなたかの来比の参考になれば幸いです。
また同時にこのブログもうっかりと200記事目となりましたこと、時々でも読んで下さる皆様に感謝しております。
今後もより一層マニアックなブログとして更新をアジア食べ歩きを誓います。
ではでは。おるたなでした。