みなさんこんばんわ、おるたな(@aratakid7)です。
映画公開から数週間。
私の周りでも映画館にリピートする人が増えております。
この記事読んでこの前見に行きました!
最高でした!— ショッティ@ノマドワーカーになりたい (@SHO_TTINew) 2018年12月25日
リアルタイムでクイーンにはまった人だけでなく、若い人たちも、感動している人、かなり通っている人が多いですね。
多い人だと6回が、おるたな周りの人のなかで一番多いですかね・・・。
今回は映画を見てない方でも概要がわかるような、そして動画を見ることによって、クイーンという伝説的なバンドがどれほど世界に影響を与えてきたのか・・・
今も昔も凄い人はすごいのだという動画をまとめつつ・・・。
映画を見に行った方も、ロック好きでも社畜過ぎて映画に行けてない人でも、そして、ほんとにいろんな人がクイーン愛にひたることができるような、おすすめ動画をいくつかご紹介します。
ご存じの方は、うんうん・・・となるような、頷いて頂けるような懐かしい動画も合わせてリストみたいに使ってもらえたら嬉しいです。
いまでもひきつづき大人気。
「なぜ人はこの映画をみると泣いてしまうのか…」
どの情報番組でもそうですが、かならず「僕も行きましたよ!」と熱く語る人多し。
淡々と冷静に進行する女子アナとウキウキを隠せない左側の男性をみるのも楽しい。
公開三週目にして動員200万人…?!いったい何がここまで引き込まれるのか。
フレディの生い立ちと、関係者達によるフレディの話
フレディは、インド洋の楽園と言われているザンジバル諸島で生まれイギリス領地でかなり裕福で様々な教育をうけます。
そして全寮制の学校にいき、小さいながらも音楽活動がはじまります。
映画を見ていない方や、クイーンについてあまりまだ知らないという方は、多少ネタバレ感覚がありますが、ちょっとフレディの生い立ちを振り返ってみましょう。
フレディは、当時イギリスの保護国だった、タンザニアにあるザンジバル島のストーン・タウンで生まれた。インド生まれの両親Bomi(1908〜2003)とJer Bulsara(1922〜2016)は、ペルシャ系インド人でゾロアスター教徒であるパールシー。彼の名字のバルサラは、インド・南グジャラートの町であるバルサードに由来する。植民地政府のオフィスで会計係として働く彼の父親が仕事を続けるため、妻とザンジバルに移った。彼の妹にKashmiraがいる。
フレディは、インドで幼少期の大半を過ごした。7歳の頃にピアノを習い始める。1954年、8歳でボンベイ(今のムンバイ)郊外のパンチガニにある全寮制の英国式寄宿学校、セント・ペーターズ・ボーイズ・スクールに通う。この頃から複数のロックバンドで活動し、ピアノとヴォーカルを担当した。ボリウッド歌手のラター・マンゲーシュカルが彼のミュージカル形式に影響を与える。12歳で、彼はスクールバンドの「ザ・ヘクティクス」、クリフ・リチャードやリトル・リチャードのカバー・ロックンロール・バンドを組織する。当時の彼の友人は、フレディは「ラジオを聴き、その後で聴いた曲をピアノで再現する、異様な能力」を持っていたと振り返る。
1963年にザンジバルに戻り家族と一緒に暮らし始めたが、その翌年ザンジバル革命が起こり、アラブ人とインド人の多数の死傷者が出た。当時17才のフレディとその家族は、安全上の理由でザンジバルから逃れた。家族は、イングランドのミドルセックス州フェルサムにある小さな家へ移り住んだ。両親は郊外住宅の使用人として働いた。フレディはウェスト・ロンドンにあるアイルワース工業学校(現在のウェスト・テムズ・カレッジ)に入り、芸術を学んだ。その後、イーリング・アートカレッジへ進み、芸術とグラフィック・デザインの修了証書を受け取る。彼は後に、クイーンでこれらの技術を用い衣装をデザインしている。
卒業後、フレディはバンドに参加しながら、ガールフレンドであるメアリー・オースティンとロンドンのケンジントン・マーケットで古着を販売していた。彼はさらに、ヒースロー国際空港でも職に就いた。当時の友人は、彼を「音楽に対して関心を示す、静かで内気な若者」として記憶している。1969年、彼はレッケイジと改名し、バンドのアイベックスに参加する。しかし、このバンドは上手くいかず、サワー・ミルク・シーという別のバンドに加わる。しかし、このグループも、1970年前半には同様に解散した。
1970年4月、フレディは、ギタリストのブライアン・メイ、ドラマーのロジャー・テイラーが所属するバンド、スマイルに加わる。メイやテイラー、それに当時彼らのマネジメントに携わっていたトライデント・スタジオが難色を示したものの、フレディの選んだ「クイーン」を新たなバンド名とした。このバンド名について、フレディは「間違いなく堂々としているし、響きもいい。それに力強さもあって、どこでも通用するわかりやすいネーミングだ。ゲイを思わせるような名前だとわかってはいたが、それはほんの一面にすぎなかった」と語っている。同じころ、フレディは名字をバルサラからマーキュリーに改めた。wikiより抜粋。
また、これから紹介する動画には、エルトンジョンやジャガーなどの大物から、さらにはフレディの実母、妹、学校の先生のインタビューもあります。
彼のピュアな人柄を彼らが今もなお、愛しているのがわかります。
感情や愛情から入りたい、おセンチな気分に浸っていきたい!っていうの方々はこちらにどうぞ。
先日、このボヘミアンラプソディ-のフレディを演じて、脚光を浴びたラミ・マレックは撮影の時に見学に来たフレディの実妹が感動のあまり、ラミ・マレックを見て涙したこと、そして彼は控えめながらも、実妹と友人になれたことを感謝しておりました。
誰もがこの映画を通してみる、フレディのこころのピュアさ、美しさを通して、まるで自分の親友のような気持ちになってフレディの歌声を聞くようになっているのだと思います。
つねに冷静な宇宙博士的なブライアンメイのインタビューは感情が入りつつ、自分に置き換えていくととても共感できるものになります。
天文学もやってるギタリストがサウンド作るんだから最高に世界観は広く緻密な物だろうな・・・。
晩年のフレディのやせた姿を見ると、とても悲しいものがありますが、最後まで『自分を病気でかわいそうとは思わないでほしい』ということを出して仕事をしているのがわかります。
映画でのその一場面は結構泣けました。。。
このフィルコリンズの笑顔。
「彼みたいな人はいないよ。いたら困る」
これを笑いながら言うのがまた愛情でしょうか。
ディヴィット・ボウイも今ではもういませんが、ボウイのADをしていたとか、フレディがまだ貧乏だったときに、ボウイが衣装をあげたとか。
個人的に親交があった無いというだけでなく、皆とてもクイーンの音楽を愛していいたのもわかります。
ライザミネリもすごい熱が入っているというか…。
ロック女子に向けての映像
当時の日本から、欧米ではスター扱いではなかったのをいいことに最初は日本もひややかでした。
しかし、当時のスマホもPCもない時代によくまあここまで追っかけたもんです。
それで今後の世界的ブレイクを確認するのですが、音楽雑誌編集長の熱いインタビューが最高です。
「女性ファンというのは、顔だけじゃないんです。演奏技術、歌詞、その人たちの立ち居振る舞い。そういう関門をクリアしたんです。
女子供にロックはわかるかといわれていたけども、ざまあみろと思いました。」
ロック親父達からの今回「ボヘミアンラプソディー」談義
音楽大好き人間で洋楽ばかり聞いてきた人、または世代は違くても自分の気に入った音楽やバンドがクイーンを好きだったりした人はだいたい30歳超えるとこんな感じで音楽で酒飲みます。
頭脳高めで先に結論から学びたい人にはこちらからでもどうぞ。
↑ちなみに2019年の、つまり未来の(現在は2018年12月)バーンという音楽雑誌、信じられませんが、クイーンが拍子なんですよ。
フレディの死について
フレディが亡くなってもう世界中ではそれは多くのニュースで取り上げられました。
フレディはHIVであることを公表したのは亡くなる前日。だからこそ世界中では多くの驚きがあったようです。
今の世の中だったらもう少しフレディは生きやすい環境だったのではいなかと思います。
英語ですがどうぞ。
私が以前にかいたクイーンの勝手におすすめ15曲に入っていないのですが、この曲も大好きです。
アメリカでの放映は当時は禁止されたそうですが、プロモーションビデオ。ひげでボインで女装で・・・いろいろタブーだったんですね。当時は。
「I want to brake free」
僕は自由になりたいんだ・・・。
I want to break free 俺は自由になりたい。
I want to break free 自由になりたいのさ。
I want to break free from your lies 君の嘘から解放してくれよ
You’re so self satisfied I don’t need you ひとりよがりの君はもういい。
I’ve got to break free 自由を手に入れないと
God knows, God knows I want to break free神は知っている。
神は俺が自由になりたがってることを知っている。
もしかして、とても苦しかったのかなと、メロディーが軽快な分、余計に苦しく感じます。病気ですもんね、苦しくないはずはありません。
先ほどのプロモーションビデオだけだと、なかなか、映像につられてしまって、歌詞をきこうという感じにならない人も多かったのかなと。
ここでライブ動画で、おるたながまたしても勝手に好きな動画をご紹介します。
まとめ
いかがでしたか?
音楽を数十年聴いてると、どうもズボラ女子というよりもロック親父的なBOXに入る気がしてきました・・・。
でもこの中でも言われてますけど、”心酔する”というか、ここまでも、どの国の人でも年齢も性別も関係なく、心からのめり込むようになるのは、本当にクイーン以外になかなか・・・
本当にフレディの心のピュアさと、家族であるメンバー、演奏技術、個人個人が独立プロアーティストだったんだろうな。
いろいろが多くの人の心をうったんだろうな。
最後は和訳をつけて、この映画のタイトルにもなった、ボヘミアンラプソディをどうぞ。
Anyway the winds blow,doesn’t really matter to me, to me.
「どのみち風は吹くのさ、僕には関係ないことさ、僕には・・・」