普段は社会人でも楽しめる気軽でお手頃な旅や外食、海外ご飯ネタなどで、自分をネタにブログを書いてますが・・・
最近はネットニュースやTwitterでも『アナフィラキシーショック』の文字をたびたび見ることがあります。
実は私も数年前にいきなり、ある日突然、発作を起こし救急搬送、入院。
最悪の場合、死に至ることもあるので、結構ヤバイ症状なのですが・・・
あんまり聞かない言葉ですもんね…
怖い…まだいつになるかわからないけど打つならアナフィラキシーの負荷試験受けた病院で受けたいけどそんなことできるのか… https://t.co/WZ9e8R34cb
— おるたな (@aratakid7) March 7, 2021
自称先進国の割には凄まじく遅い速度でやってきたワクチンですが…Twitterではついにアナフィラキシーショックを起こした方がいたというニュースを目にしました。
もちろんエピペン投与されて現在は回復されているようですが…
最近はコロナのせいでブログで旅や外食ウェ~イ(・∀・)な記事を書くのもなんだか気が引ける。
今のうちに少しずつブログさぼりからの脱却を図るべく、かねてから書いておきたかった事、アナフィラキシーショックのことを書いていこうと思います。
これは実際に私に起こった経験で長編で、症状と経緯、原因追及、対策?などを記録しており、医療従事者でもないのでそこんとこご了承下さい。
どなたかのためになったらいいなと思います。※個人差有り。
いまも普通に生きている自分や身近な家族、友人、老若男女起こりえます。
しかもそれが食べ物か薬か蜂などの虫か、はたまたゴム製品か…何かわかりません。
なので、サクッとこのブログを読んで頂き、いざという時、「もしかしてこれがアナフィラキシーなのではないか」と思い出していただければ良いなと思います。
私のように重症手遅れの一歩手前になる前に・・・。
みなさん安心していただければと思います。
Contents
- アナフィラキシーショック(反応)ってなに?
- これであなたもアナフィラキシーショックを学べる?本人が描いたショックから生き返るまでの流れ(雑)
- アナフィラキシーショックが起こる発生原因や要因について。
- これってアナフィラキシーショック?見分け方は難しい。
- 【実体験】私のアナフィラキシーショック体験談。
- 突然の発作。友人との旅行先。私のアナフィラキシーショック症状について
- アナフィラキシーショックの初期症状・急激な眠気(意識障害)でダウン、数時間後、全身の激痛、吐き気、胃痛、痙攣が襲う
- アナフィラキシーショックの特徴は「呼吸と腫れ」かも。おさまらない激痛と痙攣。呼吸も声も無理なので救急車を呼ぶ。
- アナフィラキシーショック中で一番苦しかったのは救急車で運ばれてからだった。ICUでの記憶
- アナフィラキシーショック処置後。目が覚めると脱力感でふわふわと身体が浮いているような気分だった。
- アナフィラキシーショック後の行動・負荷試験を受ける【原因追求には専門医で負荷試験】
- ついにアナフィラキシーショックの原因追及。負荷試験で入院。
- アナフィラキシーショックの負荷試験とは?
- まとめ。アナフィラキシーショック、救急車、エピペン、負荷試験・・・知っておくといいこと。
アナフィラキシーショック(反応)ってなに?
さらに・・・。
Wikiでは症状について、こんな感じにまとめられてます。
症状・症候には個人差があり、同一患者でも発症毎に異なる場合がある。アナフィラキシーの症状は、IgEと他のアナフィラトキシンの反応が関与する。これらの物質は肥満細胞からヒスタミンや他の媒介物質(メディエーター)を遊離(脱顆粒)させ、さらにヒスタミンは細動脈の血管拡張や肺の細気管支の収縮、気管支痙攣(気管の収縮)を引き起こす。
ヒスタミンや他のメディエーターは身体の別器官の組織で遊離されるが、これらが(血流等を介して他の部位に運ばれ)気管収縮とこれに伴う喘鳴や呼吸困難、そして胃腸症状(腹痛、さしこみ、嘔吐、下痢など)を引き起こす。ヒスタミンは血管拡張(これに伴う血圧低下)と血流から組織への体液漏出(これに伴う血流量低下)を引き起こし、これらが影響してショック症状を呈する。体液が肺胞に漏出することもあり、これが肺水腫を引き起こす。
アナフィラキシーで見られる症状には多尿、呼吸困難(呼吸促迫)、低血圧、脳炎、失神、意識不明、蕁麻疹、紅潮、流涙(血管性浮腫やストレスによる)、嘔吐、掻痒、下痢、腹痛、不安、血管性の浮腫(口唇、顔面、首、咽喉の腫脹などがある。悪寒や戦慄などはアナフィラキシーショックの前駆症状である場合がある。
致死的反応となる呼吸停止・心停止までの中央値は、薬物 – 5分、ハチ – 15分、食物 – 30分 との報告がある。
これだけ読むだけでもしんどい症状なのですが・・・
wikiでもあるように、原因や症状も千差万別。
とにかくいきなり謎に発作を起こした、これくらいの認識でした。
つまりアナフィラキシーはわかりやすくいうと・・・
いきなりやばい発作に見舞われて何が何だかわからず死にそうになって運が悪ければ・・・という恐ろしいショック反応のことです。
あとから記載しますが、私は薬(普通に内科で処方された抗生物質)で発作を起こしたので、wikiやネットの情報によると『呼吸停止・心肺停止までは薬の場合は一般的に5分』。
しかし運良く・・・生きております。
風邪っぽくなって熱っぽくなって、なんだか眠くなった(実際には意識障害だった説)と思ってパタンと倒れてから数時間、全身に起こるショック症状で目覚めて救急車。
詳細は↓で書きますが。
そう・・・、
やばい症状が一気に起こるのがアナフィラキシーショックです。
これであなたもアナフィラキシーショックを学べる?本人が描いたショックから生き返るまでの流れ(雑)
文章で詳しく説明してても、最初は概要で理解した方が良いんでねぇのかと。
とりあえず月曜日を迎えたく無いのでアナフィラキシーショックの発作時について岡田あ〜みん風に描いてみました。ちゃんとエピペンや救急対応が間に合えば生きている私も居ます。雑なのでそのうちちゃんと描き直しますたぶん。 https://t.co/PLLzrLYkiQ pic.twitter.com/cU8bklXYEd
— おるたな (@aratakid7) September 5, 2021
アナフィラキシーショックが起こる発生原因や要因について。
- 食物
- 刺咬昆虫(ハチや蟻など)
- 薬剤
- ラテックス(天然ゴムラテックス)
- 職業性アレルゲン
- 環境アレルゲン
- 食物依存性運動誘発性アレルゲン(食物+運動)
- その他
原因は個人で違いますし、いつどこで何でなるかはわからない。
危険な発作であると説明しています。
よくこのように質問されることがありますが、ひとくくりではありません。
アナフィラキシーショックを経験したからこそ思うのですが、この言葉はわたしは結構・・・傷つきます。
悪気がないのもわかります。しかし虫に刺されてよくあるやつ、ではないのです。
以前にも牛乳アレルギーのお子さんが「練乳」で発作を起こし大変なことになられたお話を目にしました。
本当に無事でよかったですが、よかれと思って友人があげた練乳でこのようになるのです。
また、過去には給食のメニューであるチヂミや、帝王切開時のゴム手袋で妊婦さんがショック状態になったというのも聞いたことがあります。
たしか・・・芸能人の●MAXさんは、長年大好きで毎日のように食べていた「桃」でなったというニュースを目にしました。
ある日突然、アナフィラキシーショックになり、大事には至らなかったものの、その後あんなに大好きだった桃をもう食べることができないと書いているのも見ました。
実際、私の母も大好きなメロンでいきなりまぶたが腫れはじめて、ひどくはならなかったものの軽度のアレルギー症状が確認されました。
これってアナフィラキシーショック?見分け方は難しい。
実際には喘息、パニック発作、失神などの類似疾患との鑑別が行われます。wiki
あとから記載する私の体験談、救急隊員が一瞬で叫んだ言葉は、
という感じの言葉、叫び声でした。(よく覚えてるな・・・)
知らない人にはわかりにくいかもですが、ぐったりして保健室や部屋で休む方も居ると思いますが、肺の周りが腫れてきたり、呼吸がやばくなって咳き込み、全身にボツボツができて、痙攣しだしたらアナフィラキシーだと私は思います。
とにかく首まわり、呼吸、湿疹、・・・ああぁ・・・うまく説明できないのですが息苦しい、そして首回りとかまぶたが赤くなってきて腕が腫れてきたり寒くなって汗を大量にかいてお腹に激痛が走って、くだりそうになるんですがお腹がいたくて歩けない…。
一度にたくさんの事が起こるものだと感じました。
【実体験】私のアナフィラキシーショック体験談。
ざっくり言うと発作時はこんな感じでした。
発作を起こして眠る(正しく言うと気絶。意識障害)
↓
激痛で起きる(普通はこの時点でもう死んでる)
↓
重症レベルで数時間経過して救急車
↓
出来たばかりの最新設備の救命が超近くにあった。
あくまでも私の場合ですが。
さらにその後もかなりの医者に原因追及のための負荷試験を断られたものの、とある大学病院で名医を紹介していただき、即入院。
約半月で原因特定まで進んだのと、あんなに苦しかったのに信じられないですが、「結果的に軽度」のレベルなのでラッキーでした。
アナフィラキシーショックおこしてから安心するまでのスケジュール…。※おるたなの場合。
救急車搬送で半日入院
↓
帰宅し2日間くらい全身の力がぬけていた。朦朧。
↓
近所のアレルギー科では診断拒否10件越え
↓
有名な某大学病院でも無理。だが紹介状もらう
↓
ようやく名医。負荷試験のため即入院
↓
名医のあたり通り初日で原因特定。軽度と診断。他の抗生物質に問題なし確認。
かなりの苦しみでした。つらかった・・・。
今はコロナの検査でかなりの人達が検査を断られたりしてたらい廻されていると聞きます。
あのときの苦しさが蘇ると今の健康が、普通の日常が幸せに感じます。
では・・・詳細を書いていきます。
超絶長いのですが、困っている方、苦しんでいる方の参考になれば幸いです。
突然の発作。友人との旅行先。私のアナフィラキシーショック症状について
ざっと私について。
私は大学卒業後ブラック企業にまんまと就職し、その後血反吐を吐きながら働き年収8桁手前でダウンし引っ越し転職。
その後、一見ホワイト大企業Sで契約社員に。稼がない方が身のためと大手SXXXの輸入流通・小売に行くも、数年後昇格してしまうと幹部候補生になり、結局はパワハラ満載の大奥気質でメンタル限界となり、フィリピンに行く…というのが新卒からの約十数年。
ちょうどこの会社Sを辞めてフィリピンに行く前の国内旅行の時に、アナフィラキシーショックの発作を起しました。
学生時代からの友人Dとともに鳥取砂丘にいき、雄大な海を眺めた国内旅行。
これを毎月見ていたらもう少し精神的に元気だったね~自然ってすごい~などど笑い合い、海鮮丼を食って松江の駅近くのビジネスホテルに行ったのです。
実は・・・
退職する時から少し風邪気味で体調を崩しており、医者から処方された風邪薬を持参しておりました。
いつもの医者でいつもの薬で効かなかったので、もう一度通院し、他の薬をもらいましたがずっと声がガラガラでハスキー。
呼吸も少し苦しめでしたが風邪だと信じていたし、日本の医者の薬はなんでも効くと思っていました。
しかし回復が遅い。
本当に『呼吸が少し苦しいな。』という時がありましたが、風邪の症状と気にとめていませんでした。
旅行前には熱が下がっていたのですが、さらに凄まじくハスキーな声になり、なんか身体も重いなという日がその後も数日続いていました。
働きづくしが、いきなり仕事をやめ、バランスを崩し、薬も合わなかった。
しかし、旅行の日には少しかすれたハスキー声までに復活していたので問題ないと思ったのです。
旅先の砂丘につき、自然の中でぼーっとし、楽しく時を過ごしました。
夕食は松江駅前の話題のラーメン屋、翌日に早起きをするため、お酒も飲んでいませんでした。
風邪薬を飲み、宿に戻ると10〜20分程度で、生まれて初めての凄まじい眠気に追われ、そのままベッドでダウン。
私も友人も普通の眠気だと思っておりましたが、後日入院時にそれがすでに意識障害だったのではないかと言われました。
アナフィラキシーショックの初期症状・急激な眠気(意識障害)でダウン、数時間後、全身の激痛、吐き気、胃痛、痙攣が襲う
意識を失って?というか苦しみながら寝ていて数時間、目が覚めると深夜。
全身の激痛、吐き気、胃痛、手足の痙攣、大量の汗、上半身の赤み、腫れ・・・。
…
ここまで来て私は運良く、目が覚めました。
とにかく痛い痛い痛い。(真剣な話なのにこの音楽ネタを入れてくるのがおるたなブログ)
ベッドはものすごい汗だくでびっしょり。洋服は身体が腫れ始めてパンパンになっていたのです。
過去に生牡蠣で入院したこともあるけど、食あたりか__??
昼間の海鮮丼を疑ったのですが・・・そんな生やさしい痛みではないです。
全身が針に刺されるかのような激痛、吐くのか下すのかわからない、盲腸などには程遠い胃が裂けたような激痛。お腹を切られるというのはこれくらい痛いのではないかというくらいで、ぜぇぇ・・・ぜぇええという自分の呼吸音に海鮮であたるにしては激しい。激しすぎると冷製に判断。
あまりの痛みに震えてきているのか、汗と涙でベッドはビショビショになっており、寒い。寒いのに顔から火が出るようにあつい。
これからようやく会社を辞めたのに・・・
やっと家族を説得してフィリピンに行けるのに・・・ここでしにたくない・・・。
だんだん手足の痙攣が激しくなり、立ち上がることができなくなった。
友人を起こさぬように匍匐前進でベッドからずり落ち、バスルームで吐こう。
海鮮丼なら吐けば良いのだ・・・
そう思って貞子のようにバスルームへ進み鏡を見るとゾッとするような光景を見ることになるのです・・・。
アナフィラキシーショックの特徴は「呼吸と腫れ」かも。おさまらない激痛と痙攣。呼吸も声も無理なので救急車を呼ぶ。
匍匐前進でやっとバスルームの鏡をみると、そこにうつった私の顔は別人、もう救急車しかないと諦めました。
そうです。
ものすごい全身が紫のような色で、顔や上半身はハルクホーガンのように腫れているのです・・・(WWE好きなもので例えが本当に女子らしくなくてすいません…)
慌てて部屋に這ってもどっても、声が出ない。受話器を握れない。電話をかけれない。
友人は寝ており、起こそうにも声が出ない。
実は・・・この少し前に医学番組かなにかでラテックスアレルギーとかアナフィラキシーショックという事を運良く見ていたのです。
発作時は胸筋から腫れ上がると聞いていたが、上半身が巨大な岩にでも締め付けられるかのように苦しい。声が出ない。
部屋にズリズリっと這って戻り、かがめるギリギリの姿勢で、ビジネスホテルのベッドの間にある電話機を友人にぶつけて、友人を起こした。
学生時代からの旧友・友人Dは泣き崩れ震えだしてしまいました。
さらに中腰になって気がついたんですが、腕は腫れ上がり、洋服は腫れた自分の腕によって縫い目から破れ始めてました。
ハルク・ホーガンもビックリ。
胸筋・腕・ふとももは腫れ上がり、顔はどすぐろい紫色、顔は腫れ上がって、ぱっちり二重ではなくフランケンシュタインみたいな目。
前が見えないほどまぶたは腫れている。
あまりの豹変ぶりに泣き出す友人、フロントに電話して救急車を呼んでくれと必死で119、フロント・・・と伝える。
指が腫れて震えてiPhoneが押せない。
フロントの方は仮眠していたようで内線コールでは起きず、友人がカードキーも持たず、フロントに走ってくれた。
数分後、フロントから救急車を呼んでもらい、救急隊員が部屋に到着するもフロントさん慌てたのかルームキーのスペアも持たずで私が開けることに。
もう一度匍匐前進でものすごい頑張って冷や汗をたらし、ガクガク痙攣しながら部屋をあける発作時にも冷静な私。
そこでやっと入ってきた救急隊員の一言・・・。
救急隊員さん、ものすごい慌てており、大声で怒鳴るように意識確認される。
そうです、声は出ません。カオナシか?というくらい言えない。
しかし、
年齢だけは指で答えれたのを確認し、救急隊員さんは意識があると判断。
洋服をめくって上半身を確認。
答えれないので、薬のポーチとゴミ箱を指さして冷静に伝える。
ベージュのネイルを濃いめに塗っていた性もあり、血中酸素濃度?が取れない&足が震えて脈測定不能で酸素追加されまくりだったが、ようやく担架が来た。
担架に乗った記憶があるが、この頃はピークで目が開かない。周りはほぼ見えなかった。
酸素・・・追加・・・酸素・・・みたいな数字の声?がしたのですが全然日本語が耳に入らなかった。
薄れゆく意識の中で全身の痙攣がひどく、悪霊でも憑依したのか、キョンシーかとも思った。
身体をのばすと激痛が走るのと、エレベーターで担架を伸ばしきれないようで、体育座りのような形で担架に乗ったのもキョンシーだなと思った。
死亡率やばかったもんなーとガクガク痙攣しながら、この時はまだ冷静に考えておりました。
アナフィラキシーショック中で一番苦しかったのは救急車で運ばれてからだった。ICUでの記憶
救急車で運ばれると細めで見る救命入口には、ドラマにみるような青い服をきた救命のお医者さん達が血相をかえて立っていた。
アナフィラキシーだとわかるけど、原因がどれかわからないと・・・と大声で話し合っている様子。いや話あっているというより、末期症状なのか一刻を争うんだぞ!初期症状から数時間経っているんだ!早くしろ!という話で怒鳴っている。
もうなんでもいい。
痛い。
苦しい。
さっきより明らかに痙攣がひどい。
酸素マスク効いてないのかなってくらい苦しい。肺に何も入らない。
正直、病院についたのだから何でもいいから処置してくれると思っていた。
話し合うというかめちゃくちゃお互いを論破し合う感じの緊張した雰囲気のところ大変申し訳ないのだが。
全身の痛みと震え、痙攣、何もかもに堪えられなくなってきた。
頼むからひとおもいにやってくれ。
痛みはこの時がピークだった。
げんなりしてガクガク震えて、気力も衰退してく。
まるで何か憑いているんじゃないかってくらいの痙攣。
どんどん激しくなって痛みで身体が切り裂かれそうだった。
ようやく男性のお医者さんが肩をがしっと押え、耳元で聞こえるように話しかけてきた。
なんでもいいからやってくれ、だめでも恨まない。
ガチガチ震えながら、了承したという意味を伝えるべく、ぶんぶんうなづいた。
注射を刺そうにもあぐらをかいて飛んだ!みたいなレベルの痙攣がとまらないので、看護婦さん達が追加で4~6人くらいきて両腕、両足、お腹、刺すところ、とにかく羽交い締めにして注射を数本打ってもらった。
これがエピペンというやつですね。
痛みのレベルが違いすぎてもう注射わからない。お医者さん達に羽交い締めのように押さえ込まれているのですが、それも痛みも感覚も無い。
1分くらいだったか。痙攣が急にすーっとおさまっていくのがわかり、お医者さんは相変わらず話しかけてくるのですが、もうこれ以上聞こえなかった。
意識が薄れていく中で「もう大丈夫ですよ」的なお声をかけてもらったが、いきおいよく薬が入る瞬間はひやっとして自分の身体がおかしくなる感覚もあった。
もしかしてこれが走馬燈タイムなのか?これでこの世ともおさらばか、あでゅー・・・
三途の河もじーちゃんもばーちゃんも、愛犬も出てこなかった。
アナフィラキシーショック処置後。目が覚めると脱力感でふわふわと身体が浮いているような気分だった。
目が覚めると友人が座っていた。
多分、朝だったと思う。
声が出たので、迷惑をかけたことをお詫びし、救急車を呼んでくれたお礼を伝えた気がする。
私の意識を確認して、ホテルに戻ってご飯を食べるよと簡単な会話をした記憶があるが、極限のショック状態からのエピペン投与なのか、劇薬を入れたのか身体がふわふわしていた。
お医者さんが来た。
点滴を半日以上しないと退院することは許されないとのこと。
しかし一人でふわふわな身体のまま新幹線で関東にもどるのはさすがに恐いと思ったので友人と一緒に帰りたいと。
それくらい地面に吸い込まれるように身体が重かった。
とりあえず新幹線ぎりぎりまで点滴に堪えるから倍速?で構わないので所定の量を入れてくれと頼み込み、友人にはそのまま一人で観光をしてねと伝えた。
点滴を昼前までに済ませて、歩けることに感動したが、洋服が結構破れててビビった。
会計を済ませて出歩く。
意外と歩けるので感動したが身体はものすごいふわふわしていた。
松江に来た目的、日本の怪談で美しい世界を表現していた大好きな小泉八雲の自宅だけは根性で行った。
しかし行ってフワフワ、松江駅まで歩ける距離だったがタクって駅に戻り関東へ帰った。
本当にお医者さん、医療従事者さんというのはすごい。
私は人の九死に一生のようなものを見るだけでも、ハートがわれる様に痛い。事故物件とか怪談も読みますが、病院で泣き叫ぶ人をみるだけでも神経がすり減ってしまう。
冷製に判断して感情をコントロールし、適切な処置を行ってくださる。。。
あのときのみなさん、本当に有り難うございます。
アナフィラキシーショック後の行動・負荷試験を受ける【原因追求には専門医で負荷試験】
さて。ほうほうのてい。いや、ふらふらの体で帰り際に救命の先生に言われたこと。
あなたは風邪薬の中の何かでアナフィラキシーショックを起こしたので、その原因を追及するために負荷試験というのをアレルギー科で受けないと、どの薬を飲むにも大変ですから。つまり風邪薬が恐いんですよ。
関東に帰宅して数日、めちゃくちゃ身体がしんどかった。
ものすごく重い。
お腹は好いているのだが、正直言って食べる気力がない。
まだ実は腕がぴりぴりしているような、視界もチカチカする気すらある。
たしか3日目くらいからはパンを食べれるようになって、市内のアレルギー科に電話をかけまくった気がする。
まぁ受付のひとがわかるとは限りませんから・・・。
うちは花粉症専門なので帰って下さいくらいはあっさりしてましたが・・・
散々だった。
「ちょっとうちではできないので。ガチャン」位のもあった。
東京もんはつめたいいいいい…って言いたくなるほど結構冷たかった。
命が助かっても、もう一回刺されたみたいだった。
近場ならお医者さんと話して道を見いだせるのではと思ったので受診したら、めちゃくちゃ邪険に扱われたりもした。
死にそうな人の補償はできないので、と。TVでもコメンテーターとしてよく見る先生ですが、実際は人間終わってるなと思った。
人によって痛みとか苦しみの感じ方に差はあるとおもいますが、アナフィラキシーショックとか、難病の方の苦しみはこういうところでもあるのだと痛感した。
やむなく、数時間待ちを覚悟して某大学病院の新病棟でアレルギー科を受診。
ドラマも撮影されているくらいの神奈川ではでかいK大学病院。
しかしそこでも診察はできなかったのですが、光が差した。
光が差した・・・。
捨てる神有れば拾う神あり。捨てる受付嬢あれば拾う医者あり・・・。
今までの診察拒否の詳細を説明しなかったが、同じ医者でも言動にでる深みが違うな。きっといままで苦しい状態とか症状をたくさんみれ来られただろうな…。
頭のいい人は最初から脳みそを使って最短の言葉を出すものだなと思った。
ついにアナフィラキシーショックの原因追及。負荷試験で入院。
紹介状をもらってついにアナフィラキシーショックの名医のところに行く。
別のブログ記事でも書いたのですが、名医の先生は寝癖ボサボサのメガネが光る先生。
経緯と説明、働きずくしから仕事を辞めて旅先の海鮮丼では?くらいのことまでお話しした。
フンフンと聞き、先生は寝癖ぼさぼさの頭で激しく頭を頷かせて寝癖をゆっさゆっさ揺らしては一言。
強い。あっさり。ありがたい・・・。
後から知るのですが、この時既に風邪薬のうちのひとつに目をつけていたと先生。
診察の後は一時は帰宅したものの、その翌日か翌々日くらいに即入院となった。
アナフィラキシーショックの負荷試験とは?
負荷試験とは専門医のもとでもう一度ショック状態を検証する自分での実験です。
私の場合はAとBとCという処方箋を順番に数時間おきに飲みますよとのこと。
分量は超少なくして、粉状にし、どれがどの薬かわからないようにして飲む。
ひとの意識は不思議な物で、何でも無い薬でも『これが原因の薬ですといって渡すと本当に発作を起こす人も居ますよ』とのこと。素直な人はこれも恐いのですと。
ふーん・・・そういうもんなんだな~と軽く考えて一つ目のAを飲みました。
先生やナースステーションの目の前の病室でカーテンはしめないようにして寝転ぶ。
病室で映画を見ること数分・・・
実は入院する時に必要な同意書を実家玄関に忘れてしまい、母親に電話して持ってきてもらったのだが、最初の薬を飲んで、30分後くらいにちょうど母親がやってきた。
え??そう・・・??
発作か…
なんかちょっと苦しいなと思って寝ていられないと座っていたのですが、確かに手が震えていた。
ベッドサイドのボタンを押すと先生がすぐに飛んできたが冷静だった。
このまま放っておいても10-20分後くらいには完全におさまります。ちょっとぐったりしますが。もししんどいのであれば、発作の時と同じ注射を打ってすぐに落ち着かせることもできますよ。どうしましょうか?
30代になってこの薬でアナフィラキシーを出す方が最近いらっしゃるのでもしかしたらと思ってましたが的な冷静なお話だった。
負荷試験、あっさり入院の初日に結果・原因を究明できました。
私の場合はこんな感じでした。
先生が一番怪しいと思っていた抗生物質Aをためす⇒発作。
↓
発作時に飲んだB⇒無症状
↓
発作時に飲んだC⇒無症状
↓
他の抗生物質で発作が起きないか、風邪薬などの時に一般的に処方される薬を全て試す。
・トクレス⇒OK
・フロモックス⇒OK
・クラリシッド⇒OK
・パセパセトシン⇒OK
⇒無症状でクリア、退院。
これで他の薬で発作がという心配は薄れました。
余程のことがなければジェネリックは飲まなければ安心だそうです。
こちらの先生は「働き盛りでバランスを崩した30代が何故か起こすんですよね…」とも言っていたが救急車がくるまでのもしもの時の薬をもらいました。エピペン持ち歩かなくてもOKなのだそう。
アナフィラキシーショック患者のなかでも、私の場合これでもかなりの軽度だそうです。
説明しておくと、私の場合、最初の急な眠気でダウンしたのは、ショックの意識障害の可能性があったそうです。
もし食品が原因の場合、食べた時間と胃の消化が始まった時間を考えると発作の一部と思った方がいいですよと。
お医者さん曰く、その意識障害のまま、寝たまま死んでいた可能性もあったと。
ぞっとします・・・。
しかしブログ記事にしていますから、主人公は死なず。
まとめ。アナフィラキシーショック、救急車、エピペン、負荷試験・・・知っておくといいこと。
日常的にはあまりなじみのないことですが・・・以前からブログに書いておこうかな、と思っていたことを書きました。
まとめとして、私のおすすめする対策はこれです。
さらにアナフィラキシーショックで重度と診断された人で普段の生活での心配がある方は、エピペンの所持。
誰でもこういう症状が出ると言うことを知っておくことが良いと思いました。
そして食物アレルギー・・・特に卵や乳製品ですぐに強い反応が出てしまう場合はお医者さんからエピペンを持ち歩くようにと言われます。
私も一時は持ち歩いていました。
エピペンの刺し方を学び、持ち歩く。ただし処方箋薬局にでもない場合もあるので、GETするには時間がかかりました。
私は軽度なので旅先にも持っていかなくて大丈夫ですし、もしやというときは頓服を飲み救急車を呼べば大丈夫、ひとつの薬だけの注意で大丈夫なようです。
薬局や普通に行った歯医者さん眼科、はたまた医学部の学生さん達に症状を教えて欲しいと言われることは多々あります。
一般的になるほど広まれといういみではないのですが、早めに処置をすれば苦しい時間は少ないです。
さらに金銭的な不安ですが、一泊の入院でもその後の負荷試験でも数万円でしたし、発症時は旅行中であったので、旅行の交通費や宿泊費用をカードで支払いしていたので多少は安心でした。
一度お持ちのカードの内容を詳しく見てみることをおすすめします。もちろん海外へ長期で行かれる方は是非。必須です。フィリピンで入院した時に入ってて良かったと痛感しました。
これから海外に行かれる方だけでなく、日常で起こりうること。コロナのワクチン、どうやってうけようかな…。
とりあえず、どなたかの参考になればさいわいです。おるたなでした。